港のメリーさん
横浜育ちなら誰でもが知っている港のメリーさんのドキュメンタリー映画です。横浜から消えて10年以上になりましたから、最近の若者は多分知らないんですよね~(泣)。
舞台化粧かと思うような白塗りに、これまた衣装も真っ白のお姫様スタイルのメリーさんは、異様なオーラで、否応なしに目に飛び込んでくる方でした。
馬車道、伊勢崎町界隈が彼女のテリトリーだったようですが、私は横浜駅東口のルミネでもお見かけしたことがありました。もう20年ぐらい前かも‥。
噂は色々あり、戦後初のアメリカ人相手の娼婦だとか、皇族の末裔、家がないと聞けば、豪邸に住んでいる‥、風貌からして謎めいている方でしたので、町で彼女を見かけたら、まるで口裂け女(ふ、古い‥)に出会ったかのように、翌日、学校で大騒ぎに。
映画によると、彼女は横須賀で娼婦をし、1966年40歳の時に横浜にやってきて、伊勢崎町辺りを縄張りとしていたようです。残念ながら、定住する家もなく、横浜の雑居ビルの廊下で寝起きし、行きつけのクリーニング屋さんで着替えをし、という生活だったとか。
そうか、だからいつも大荷物を持っていたんだ、と納得。
今はもうないのですが、馬車道の有隣堂のトイレに入ったら、具合悪そうなメリーさんと遭遇し、迷った挙句、声を掛けたこともありました。大丈夫だ、とうなずくし、なんかこう、近づくな、みたいな雰囲気もあり、後ろ髪引かれながらもその場を離れましたが、施しや憐れみを受けることを嫌っていたということなので、あの雰囲気の意味にも納得です。
この映画は、メリーさんが横浜から消えてから撮影がスタートした為、動くメリーさんはほとんど登場しませんでした。メリーさんのお友達の回想を中心に、戦後すぐの伊勢崎町、日出町が栄えていた頃の写真と共に、あの時代が多分正確に映し出されているような‥。
私の全く知らない街がそこにありましたが、青江美奈の伊勢崎町ブルースは、こういう街から生まれたんだ、となんとだか合点がいった感じです。
今の横浜は見栄えがとてもよくなりました。
昔、桜木町は三菱(だったと思う)のドッグがあって、駅を通過する時、独特なニオイがしていました。野毛や伊勢崎町は、そんな横浜の発展に追いつけず、中途半端に昔の雰囲気を残してしまい、どうしていいか困っている状態ですが、私は今のみなとみらいよりも、泥臭い横浜のほうが、いい。
お台場と何が違うねん、というような街じゃ、つまらない。
だからメリーさんも田舎にお帰りになったんじゃないかな。
横浜を離れ、故郷(どうも岡山らしい)の老人ホームでのんびり暮らしているメリーさんが映像に映し出されます。
もちろん、白塗りではありません。
可愛いお顔のおばあちゃんで、昔は相当美人だったんだろうな、と容易に想像ができました。
娼婦という仕事は、けっして自慢できるものではないとは思うのですが、全く卑屈さのない(ように私には思えた)ところを拝見し、自信を持って、精一杯生きるって大事なんだね、と友達と語り合ってしまいました。
都内でも上映しているみたいです。
機会があったら是非、浜の元名物を観にいってくださいませ。
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